2016年 05月 04日
(1)周知のように刑法学における責任論においては意思自由論(非決定諭〕に基づく旧派(古典学派)の「道義的責任論」と(ハードな)決定論に基づく新派(近代学派)の「社会的責任論」が対立していたが、「相対的非決定論やソフトな決定論などによって、以前保護の激しい対立ではなくなってきている」 とされる。山中敬一も現在の学説を従来の①非決定論(意思自由論)/②決定論の対立図式から③相対的非決定論(意思自由論)/④やわらかな(ソフトな)決定論や不可知論を前提とした⑤意思自由擬制説または規範的要請説へと議論が移行しているとする 。そしてこの⑤の立場における自由意思の擬制は「規範が要請しているフィクション」として「成人した人間は、異常な事情の下でのみ、責任非難を阻却しうるということであり、また、通常は、犯行への誘惑に打ち勝つのに必要な意思力を備えている」という前提から出発するということであり、「刑罰制度の観点からも、受刑者を治療の対象としてではなく、自由な人格をもった人間として処遇することを要請されている」 ものであるとする。山中と同様、この規範的要請説を支持するのは井田良である。すなわち井田は「責任の有無と程度を決めるための基準としての自由と可能性は、経験的事実ではなく、規範的要請ないし仮設(仮「設」であって、仮「説」ではない)として根底に置かれなければならない」 とするのである。さらに高橋則夫も「そもそも、自由意思と決定論が両立しないものなのか、あるいは両立し得るものなのかという前提問題すら解決されていない」としたうえで、社会心理学者小坂井敏晶の議論 を援用して「責任は実体としての責任ではなく、社会的虚構とさえいえる」が、「このような社会的虚構がなければ社会が存立することはできず、その結果、責任および刑罰は、自由意思を仮設として前提しなければ、存立不可能な制度と理解せざるを得ない」 とする。 (2)このような「虚構ないしフィクションとしての意思自由論」に対して、浅田は、正当にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則に反するものであると批判している(上記テーゼ③参照) 。林幹人も同様に「犯罪の内容である責任を、『フィクション』によって構成するべきではない」、すなわち「国家が人に重大な不利益を科する前提としての刑事責任について、有るかどうかわからないものを、『有る』と擬制するべきではない」とする 。このような批判について安田拓人は「他行為可能性を否定し、特別予防論に基づく刑事制裁を構想する場合に比べ、他行為可能性を肯定し、法的非難としての責任・刑罰を構想する方が、行為者にとって有利なのだから、他行為可能性は『フィクション』であってもよい」 と反論している。 (3)しかし本当に特別予防論に基づく刑罰制度の方が自由意思に基づく責任に基づく刑罰制度よりも、対象者にとって有利なのだろうか。アメリカの哲学者ダーク・ペレブーム(Derk Pereboom)はその著書『自由意志なしで生きる』 で後述のハード決定論(ハード非両立論)に基づいて、現在有力に主張されている刑罰理論 である①応報主義、②道徳教育論、③帰結主義的抑止論、④正当防衛論を批判し、唯一正当化できるのは「隔離」だとする。そしてこの「隔離」が正当化されるのは対象者の危険性が立証される場合に限定され、隔離中に行われる「治療」(危険除去処置)についても「人間の尊厳を犯すような治療までが許されるわけではない」 とする。これに対してアメリカや日本の刑罰制度はペレブームによればありもしない(あるいはフィクションにすぎない)意思自由に基づいて、再犯の危険性のない行為者に対しても刑罰(場合によっては死刑)を加えていることになり、その方が対象者にとって必ずしも有利であるとは断定できないであろう。また(科学)哲学者の戸田山和久は、ペレブームのいう自由意志なき世界は、スピルバーグの映画『マイノリティ・レポート』に描かれているような、「将来、反社会的行動をするように決定されている人間をスクリーニングしてあらかじめ予防拘禁する」「究極の管理社会」、「ディストピア」 になってしまうとは限らず、「意志の自由の概念がなく、したがって責任を負うとかとらせるという実践もなく、だけど市民的自由は保障されている社会はありうる」 とする。 さらにフィクション論の基礎には、いくら議論しても、結局、意思自由が存在するかどうかは知ることはできないとする不可知論があるが、ミヒャエル・パヴリック(Michael Pawlik)が指摘するように、意思自由論を擁護するために、不可知論または「意思自由が存在しないということは証明されていないが、それが存在するということも証明されていない」 というノン・リケット諭を援用するのはカテゴリー的に誤りであり、規範的要請としての意思自由論も誤解を招くものである 。すなわち増田豊が指摘するように「実体二元論(存在論的二元論)は論外であるが、自由意思を擁護するためには、何らかの意味における二元論に依拠しなければならない」 からである。また高橋が強調する社会的制度としての責任は、哲学者ピーター・ストローソンの意味における「人格的反応的態度(personal reactive attitudes)」 として社会的に「実践」されているものであり、それを「虚構」であるとするのは誤解を招きやすい表現であろう。 浅田和茂教授は、その著書『刑事責任能力の研究・下巻』 において責任能力 を「規範的責任能力」(=「決定規範の名宛人たる能力」としての「有責行為能力」)と「可罰的責任能力」(=「規範的責任能力」を前提としたうえでの「事実的・政策的・規制的判断として規範的責任が一定の程度に達していること」および「刑罰適応性」)に区別され(82頁)、後者は専ら前者を限定する方向に機能すべきであるとされる。そしてその前提となる「意思の自由」に関する見解を、次の6つのテーゼに要約される 。 ①「責任を非難可能性と理解し、非難を回顧的にとらえる以上、行為時における当該行為者の他行為可能性が、その前提になるものと解さざるをえない。」 ②「他行為可能性を一般人・平均人を標準にして考えることによっては、本人に対する責任非難を基礎づけることはできない。責任非難は、あくまで『汝為しうるが故に為す…』といえる場合にのみ可能なのであって、一般人を標準にすることは、『汝為すべきが故に為しうる』という不可能を強いる論理を認めることに他ならないからである。」 ③「いわゆる『やわらかな決定論』は、…『外部からの自由』を問題にするものであって、『自由意思』(内部からの自由)を論ずるものではなく、その展望的非難は、他行為可能性を理由とする回顧的非難とは別のものであって、責任非難を根拠づけうるものではない。」 ④「行為時における当該行為者の他行為可能性を前提にすることは、『相対的意思自由論』ないし『相対的非決定論』に与することになるが、そこから直ちに『道義的責任論』や『積極的責任主義』が導かれるわけではない。道義性の過度の強調は、苛酷な行刑に導き、法と道徳の峻別を危くすることになる。むしろ責任非難は、他行為可能性を前提とした『規範的非難』と考えれば足りるのであって、道徳的非難や倫理的非難とは峻別されなければならない(刑法は、犯罪を犯さないことを要求するだけであって、立派な人間になることを要求しているわけではない)。また、その意味での規範的責任が、存在する場合であっても、そのことから直ちに『責任あれば刑罰あり』(積極的責任主義)とすべきではなく、さらに『可罰的責任』の観点から不処罰とすべき場合を認めるべきである。」 ⑤他行為可能性を「処罰の正当化根拠」とする説は「証明不可能な事態を被告人の不利益に判断することは『疑わしきは被告人の利益に』の原則にも反する(虚構ないしフィクションとしての意思自由論のネックも、この点にあった)。やはり、相対的意思自由論ないし相対的非決定論自体を正面から肯定せざるをえないのではないであろうか。」 ⑥意思自由のとらえ方について、ドイツの議論 等を参考にしつつ、「他行為可能性を積極的に根拠づけることによってはじめて、責任能力を有責行為能力と解し、その心理学的要件として弁識能力のみならず制御能力を要求することも可能になるように思われる。」ここで問題となる意思自由とは、(人間が無原因に意思決定するという意味の)「『あるものからの自由ではなく、『あるものへの自由』であって、因果連関からではなく意味連関から生ずる決定因子を付加することにより、因果過程を被覆決定する、という意味であり、それは、現実の社会、われわれの文化に深く根ざしているものなのである。」
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